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皆さんは、人生を変えるような一皿に出会ったことはありますか?
僕にはある。それが、笹塚の路地裏にあった「エムズカレー(M’s CURRY)」だった。

京王線・笹塚駅。商店街の賑わいからほんの少し外れた路地裏に、熱狂的なファンに愛されながら、2010年に突如その歴史を閉じた伝説のカレー店があった。
先日、Xのタイムラインを眺めていたら、このお店について綴られた一冊のZINEの投稿が目に飛び込んできた。その瞬間、脳裏にあの日の光景が鮮烈にフラッシュバックした。

あまりにも急な別れと、その後に起きた「奇跡のようなカレーの再会」。今日は、その話をさせてほしい。
店内に響き渡る「ポンポン」という音の記憶

エムズカレーを語る上で、まず触れなければならないのがカレー……ではなく、「野菜サラダ」だ。
主役のカレーを食うほどの人気があったこのサラダ。人参などの野菜をミキサーにかけた、オレンジ色のとろりと濃厚なオリジナルドレッシングが、瓶にパンパンに詰まって出てくるのだ。
そのままではなかなかドレッシングが出てこない。だからお客さんは皆、瓶をひっくり返して底を「ポンポン」と叩く。
このリズム。この音こそが、笹塚の路地裏で奏でられる平和なランチタイムの合図だった。

カレーはポークカレー、チキンカレー、挽肉カレー、野菜カレーの4種がレギュラー。僕は食べたことがないのだけれど、極稀に「幻のカレー」なるものも存在したらしい。どんな味だったのか、今となっては確かめようもない。
あまりにも突然の幕切れ——2010年3月7日
そしてその日は来る。
2010年3月7日。閉店後の仕込み中にマスターが倒れ、大動脈瘤破裂により、そのまま帰らぬ人となった。
笹塚から「ポンポン」が消えた日だった。
店主が遺した「最期のカレー」を受け取る
悲報を聞いて、すぐにお店の前へ向かった。
そこには、溢れんばかりの花束が置かれていた。これほどまでに愛されていたんだ——。その光景を目にした瞬間に込み上げてきたのは、感動と、もう二度とあの味に出会えないという深い喪失感だった。
当時、その思いをTwitter(現X)に綴ったところ、不思議なご縁が繋がった。僕の友人が、亡くなったマスターの奥様と知り合いだったことが分かり、ご自宅でお線香をあげさせていただく機会をいただいたのだ。
そこで奥様から、こう言って手渡されたものがある。
「どれだけ好きだったか伝わりました」
差し出されたのは、「冷凍庫に残っていた、最後のエムズカレー」 だった。
東松原で分かち合った「記憶の味」

この貴重なカレーを、自分一人で抱えるのは恐れ多い。
「エムズカレーを愛したファンの方々に、この最後の一皿を届けたい」
その一心で、知り合いの東松原のカフェ「COKAGE(コカゲ)」で、「最後のカレーをみんなで食べる会」を企画した。Twitterでの呼びかけに、知人はもちろん、面識のないファンの方々までが続々と集まってくれて、店内はすぐに満員になった。


限られた量を少しずつ小分けにして、みんなで惜しむように、大切に口へ運んだミニカレー。
「あぁ、これだ、この味だ」 「もう食べられないと思っていたのに……」
集まった皆さんの、楽しそうで、嬉しそうで、そしてどこか少し悲しそうな、あの複雑で温かい表情。僕は今でも鮮明に覚えている。

16年の月日を越えて——料理が持つ本当の力

あの日から16年の月日が流れた。
唯一無二だった笹塚のエムズカレーの味と、あの「ポンポン」と瓶を叩く音は、今も僕の記憶の中に当時のまま残っている。
形あるお店はなくなっても、一皿のカレーが繋いだ縁は、こうして時を超えて語り継がれていく。それこそが、料理が持つ本当の力なのかもしれない。
あの時、笹塚でエムズカレーに出会えた幸せに、心からの感謝を込めて。
2026年3月7日

まとめ
笹塚の路地裏で多くのファンに愛された「エムズカレー」。2010年、マスターの突然の逝去により閉店したこのお店は、ドレッシング瓶の「ポンポン」という音とともに、今も多くの人の記憶に生き続けている。
奥様から託された最後のカレーを、ファンのみんなで分かち合ったあの日。あれから16年が経った今でも、一皿のカレーが紡いだ人と人との縁は、色あせることなく残り続けている。
おいしいカレーは、お腹だけじゃなく、記憶と心に残るのだ。



